skouya’s diary

本に関するあらゆること

『料理人という生き方』

本書は、数々の料理の紹介とともに、料理人としての絶頂も挫折も経験した不屈の精神をもつ男の生きざまが描かれている。決して自分の思いを読者に押し付けるのではなく、淡々とした口調で綴られ、仕事や人生に悩む人に勇気を与えてくれる本だ。

 

著者である道野正さんは、大阪にある知る人ぞ知るフレンチレストラン「ミチノ・ル・トゥールビヨン」のオーナーシェフを勤めている。フレンチの異才として走り続きてきた著者であるが、同志社大学の神学部出身という異色の経歴を持つ。「人はなろうとしたもんになれる」というシンプルなメッセージを伝える本書は、これから料理人を目指す人はもちろん、料理人でなくとも、年齢に関係なく何かを目指している人の「生き方」ガイドとなるはずだ。

 

神学部出身からなぜ料理の世界へ?と思われた方も多いかもしれない。それは著者が小さいころから疑問に思っていた「人は何のために生きるか」という問いに対する答えが、神学部出身者として最もふさわしくない仕事についたらわかるかもしれないと考えたからだそうだ。そうしてナイフすらまともに持ったことがないのに、いきなり京都の有名フレンチの門をたたいた。尋常ではない思考回路と言える。きっと、こうした常識から離れた思考が他とは違った料理を生み出しているのだろう。

 

本書にはレシピは書かれていない。さまざまな料理の記憶、創作秘話、食材との出会いが書かれている。例えば、「牛蒡のピューレと牛すじ肉のクレープ包み、ブルーチーズとグレープフルーツのサラダ」という料理がある。この料理を考案するために、著者が描いたであろう何やら直方体や楕円が描かれた数学の図形が登場する。そこには、酸味や苦みといった味や、食材の舌触り、さらに香りなどが緻密にメモ書きされ、一つの料理を考案するのにも長い長い思考の末に作り出されていることがわかる。

 

また本書には料理だけではなく、著者の料理人としての人生のエッセイがこれでもかと詰め込まれている。7年間日本で修業したのち、意気揚々とフランスの三ツ星レストランで勤め始めるも、失意のうちに数か月で辞めてしまう。それでも他の店で苦悩と努力を重ね、帰国後、大阪で開業した「ミチノ・ル・トゥールビヨン」で一世を風靡する。だが著者にとってそれは始まりに過ぎない。還暦をすぎてなお、料理人として進化し続けようとする姿は圧巻である。そんな本書には、他にも幻の魚イトウ釣り、大学時代の恩師との再会、スナックにハマった話、病気で死にかけた話、玉川奈々福さんの大ファンで浪曲への熱い想いなど数々のエピソードが花を添えている。

 

本書を手に取るとわかるのだが、本書にはいわゆるカバーがなく(書籍本体を保護する最も外側の取り外し可能な表紙?)、すべて同一の紙素材でできている。失礼ながら最初はあまりお金がかかっていないようにも思えたのだが、料理の写真はどれも、その温度感や香りが伝わってくるようで、素直に美味そうといった具合に見入ってしまった(ページもめくりやすい!)。それもそのはずで、本書は、全国の博物館のデジタルコンテンツ開発や制作、美術館のカタログ製作などを手掛ける有限会社マーズにより作成された本である。その点では、普段手にとる本とは少し違っており、本好きな方はいつもとは違った発見があるかもしれない。

 

だが、本書の魅力はなんといっても、著者自身が語る言葉であり、ストーリーである。最後に紹介されるのは「昆布じめにした宇和島の鹿、ハマグリの出汁で煮たキャベツ」という料理で、この料理への思い入れはことのほか強いようだ。
最後にその言葉を引用し、終わりとしたいと思う。

 

“見た目はあまりに地味です。まるで流れに逆らっています。でも、理論的には隙がありません。そして実際、ここは豊穣といえる味わいがあります。これがぼくの料理です。そして、これまでの集大成でありスタート地点です”

 

著者のレストランに足を運ぶ前に、ぜびこの本を一読いただきたい。

 

 

料理人という生き方

料理人という生き方