skouya’s diary

本に関するあらゆること

『LIFE SCIENCE(ライフサイエンス)』

オートファジーをご存知であろうか。

「自ら(Auto)」を「食べる(Phagy)」というその名の通り、自らの細胞質成分を食べて分解することで、生命活動に欠かせないアミノ酸を得る働きをおこなう細胞内小器官の1つである。

オートファジーは、その働きから、細胞内の「リサイクルシステム」とも言われており、このリサイクル活動から得られるタンパク質量は、食事から得られるタンパク質量よりも3倍近くの量を生成していることから、生命活動において重要な存在である。

 

本書は、そんなオートファジーの研究の最先端を走る著者による、生命科学についての本である。

生命の基本単位は、細胞である。

本書の言葉を借りれば、ウランウータンであろうが、オードリー・ヘップバーンであろうが、生物は皆細胞からできている。

本書は、この細胞の役割にフォーカスし、高校生物で習うような細胞内の生化学的現象から、DNAの働きやタンパク質の生成まで、幅広く解説し、生命科学についてよくわからないという初心者から、セントラルドグマや基本的な細胞の仕組みを理解している生命科学好きまで、多くの読者が楽しめる内容となっている。

そして、本書のメインとなるのが、先述したオートファジーだ。

このオートファジーについては、本書の第4章から第5章にかけて、我々生物の近未来を描く最先端の内容ということで登場する。

オートファジーは、これまで有効な治療法がほとんどないとされてきた、アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患に対して、有効な治療法となることが期待されており、さらには、人類が今よりも長寿となる鍵を握る働きをするとして、全世界の研究者の注目を集めている。

 

先ほど、オートファジーが世界で注目される理由として、アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患に有効とされているからだと述べた。

では、なぜオートファジーがこうした神経変性疾患に有効とされているのであろうか。

 

アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患は、脳細胞の中にタンパク質の塊ができて、その塊のせいで細胞が死ぬことで起こります。そのタンパク質の塊をオートファジーは狙い撃ちで除去します。

 

オートファジーは、細胞内の清掃作業をおこない、細胞内の恒常性を維持するための重要な働きを担っている。

特に、生まれてから一生入れ替わることがないとされる、神経細胞においては、この働きが重要となってくるようだ。

本書では、このように簡潔かつ明瞭な文章により、瞬く間に読者を科学の世界に引き込んでくれる。

また、感の良い読者であれば、「なぜオートファジーはこうした塊を狙い撃ちできるの?」と疑問に思うだろう。

そう思った読者は、すでに著者が仕掛けた罠に引っかかったようなものだ。

一つの知識が、さらなる疑問を呼び起こし、まさにページをめくる手が止まらない一冊なのだ。

 

本書の中で、おそらく著者が一番伝えたかった内容が、本書の第1章に書かれている内容だ。

第1章は、生命科学の講義ではなくて、「科学的思考を身につける」と題し、不確実性が増す現代において、個人がいかに科学者のように思考することが重要であるかを説いている。

「科学的思考に暗記と数学はいらない」という項目では、著者は以下のように述べている。

 

大事なのはその数式がなぜ、どのようにして考えられたか、です。科学は結果として膨大な知識を生みますが、それが生まれた経緯や考え方の方がずっと重要です。受験勉強が優先される今の教育では、科学の結果は山ほど教えてもらえますが、それらの発見の元になった科学的な考え方についてはちっとも教えてくれません。

 

ここは私としては激しく同意であった。

勉強ができなかった言い訳にはしたくないが、勉強に魅力を感じないのは、そうした過程を重視しない教育スタイルであったからだと、今では思う。

仮説を立てて、検証するという手法は、なにも科学の世界に限った話ではないが、やはり科学とその他ではスケールがまったく異なる。

科学の面白さはそのスケールの大きさにある。

その意味では、生命科学というのは科学的思考を養ういい題材となるはずだ。

生命科学を扱う本書も例外ではない。

 

最後に、本書の著者である吉森保教授について触れておこう。

吉森教授は、ノーベル賞を受賞した大隈良典教授が、国立基礎生物学研究所にラボを立ち上げた際、助教授として参加し、

その後、哺乳類のオートファジー研究が発展する最初の大きなきっかけとなった、LC3タンパク質を発見した優秀な研究者である。

LC3タンパク質の論文の被引用数は5000を超え、オートファジー分野では世界一位となっている。

そんな世界的な権威である著者であるが、本書での論調は柔らかく、小難しい物言いはまったくない。

本書は、高校生や中学生であっても読破できる。

世代に関係なく、多くの方におすすめの一冊だ。

 

 

 

『魔王: 奸智と暴力のサイバー犯罪帝国を築いた男』私たちの日常のすぐ近くにある恐怖

その男は南アフリカで生まれた。

10代でコンピュータを手にすると、暗号で世界を想像する自分の能力の虜となり、寝る間を惜しむほど熱中した。

そんな彼が発明したエンクリプション・フォー・ザ・マス(E4M)という暗号化プログラムは、アメリカ政府ですら破ることができない強力な暗号化が可能で、国際的犯罪者御用達の暗号化プログラムとなった。

このイーロン・マスクを彷彿とさせる(マスクも南アフリカ出身)才能の持ち主の名は、ポール・ル・ルー。

彼こそ、他の天才達同様、黎明期のインターネット世界に明るく迎え入れられるはずであった。

だが、彼はそうはならなかった。

ポール・ル・ルーの名は、英雄としてではなく、国際的犯罪者として世界に知られることになる。

 

本書は、そんなル・ルーが築き上げた犯罪帝国の全貌を明らかとするものである。

フィリンピンでは、無残にごみの山に捨てられた女性の死体が発見され、香港では、ある倉庫から1000個の袋に小分けにされた硝酸アンモニウム肥料20トンが発見された。一方、トンガの環状珊瑚島では、難破したヨットの中から、腐乱した遺体とビニール袋に詰まった9000万ドル相当のコカインが発見された。

一見関係のなさそうな事件だが、ル・ルーはそのすべてに関係し、指示を出した黒幕である。

本書は、帯に書かれているノア・ホーリーの言葉の通り、あなたを夢中にさせる物語となるだろう。

 

本書について予測できることがひとつだけあるとすれば、あなたがものすごい速さでページをめくることだろうということだ。

 

すべての始まりは、アメリカの麻薬取締局が発見した信じられないような光景だった。

それはとある小さな独立系のたった一つの薬局が、気の遠くなるような量の薬を出荷しているデータだ。しかも、そのような現象は全米各地の薬局で起きているようだった。

調べると、そうした薬局は、共通して1つの会社から薬を仕入れていることがわかった。

その会社こそ、ル・ルーが経営するRX社である。

 

あなたは、以前入院したことがきっかけで、定期的に通院し、薬を服用しなければならなくなったとする。

だが、病院に行く暇もない中で、たまたま開いたウェブサイトで薬の処方サイトを見かけたとしよう。

そこでは簡単な医療質問票に答えるだけで、その結果を本物の医師が目を通し、問題なければ近くの薬局から薬を発送すると書いてある。

怪しいなと思ったが、サイトには以下のような注意書きがあった。

 

このあらたな医薬品提供の形を実現するにあたり、わが社はあらゆる政府の規制を満たすと同時に、その限界を超えていくことを約束いたします。アクミメッズ・ドットコムは、お客様のご注文を正規の医師免許を持つ医師にのみ伝えます。

 

こうした遠隔医療という概念は、急成長中の分野である。

RX社は、アメリカの薬事法の間隙を縫い、巧妙に法律違反を免れていた。

ル・ルーは、アメリカ市民に違法すれすれの鎮痛剤をばらまくことで、巨万の富を得ることができた。

 

こうしてル・ルーは億万長者となったわけだが、彼の犯罪に対する飽くなき欲望は尽きることがなかった。時には、ソマリア沖で海賊を手なずけようとしたり、殺人から麻薬の密輸、武器の密売までどんな犯罪にも手を付けた。組織の金を横流しするような者や、よからぬことを企む噂がある者は、確証がなくても殺害した。それは、内部の関係者を暗殺する為だけに組織された「ニンジャ・ワーク」とよばれる暗殺部隊を用意する徹底ぶりであった。

 

こうしたル・ルーが築き上げた巨大なネットワークは、彼一人が管理し把握していた。

どれだけ彼に近しい存在であっても、限られた範囲でしかその世界を見ることを許されなかった。

ル・ルーが自分のすぐ横で残忍な麻薬カルテルと連絡を取り、と思えば傭兵や武器商人や殺人者たちに電話越しに指示を出していたとしても誰も気づくことはない。

そんな「彼の帝国」を著者であるラトリフは4年以上もの歳月をかけ、一つ一つのピースを紡ぎ、本書を書き上げた。

これから、お正月休みの方も多いことだろう。あなたも本書を読んで、私たちが住む世界のすぐそばにある狂気を目の当たりにしてほしい。

 

魔王: 奸智と暴力のサイバー犯罪帝国を築いた男

魔王: 奸智と暴力のサイバー犯罪帝国を築いた男

 

 

 

『20憶人の未来銀行』

本書は、FinTechといった金融系ビジネス書と思いきや、一人の日本人による波乱万丈なノンフィクションノベルという側面ももっている。世界で銀行口座を持たない成人の数は20億人と言われているそうだ。著者が目指すのは、その人達をも巻き込んだ新たなお金の「ものがたり」を創っていくことである。

 

僕らの世代にとっての課題は、「誰もが人生の中で目的(意義)を持てる世界を創り出すこと」なのです。

 

 

これは、フェイスブックCEOであるザッカーバーグハーバード大学でのスピーチで語った言葉である。いまや、自分の人生の目標(意義)を見つけるだけでは不十分で、多くの人が人生の意義や目的を持てるような世界を作ることが求められている。本書は間違いなく、ザッカーバーグが言うような世界をつくるスケールの大きい話となっている。起業することとは何か、働くこととは何か、悩める日本人に向けたメッセージ性のある本である。

 

本書には、最新のテクノロジーが登場するわけではない。著者自身が語っているように、最先端のテクノジーを扱うのが必ずしもベストではないことが多くある。

 

大事なのは現場の課題を解決するのに現実的に取れる手段として何がふさわしいかということであって、その技術が最先端かどうかというのはあまり関係がありません。途上国ビジネスにおいては、よりその傾向が強くなると言えるでしょう。

 

 

日本植物燃料という会社で代表を務める著者が、電気すらないアフリカの辺境の地で電子マネー経済圏をつくった。金融の専門家でもない素人が、それを成し遂げるにいたったその構想力および思考の柔軟性が本書の面白さだ。

 

著者が自身のライフミッションとして一貫して持ち続けているのが、「世の中から不条理をなくす」ということである。それは著者が原爆の被害があった長崎で生まれ、そこで過ごした経験からきている。京都大学法学部を中退、その後就職した先で若くして5000万円もの借金を抱えることになり、バイオ燃料の事業を始めれば大失敗を犯し、そして現在の畑違いの金融業に本腰を入れることにしたのも、一貫してこのライフミッションを果たすためであった。

 

そんな著者が考える、現在のお金の「ものがたり」の最大の問題点は、「お金でお金を稼ぐ」ことであり、これは現在の世界では、最早成り立たないシステムなのではないかと指摘する。

 

そこで、著者が提案する「新しい仕組みの銀行」は、預金者へは金利を約束せず、一方で融資を受ける人から複利の貸出金利をとることもしないというもの。詳しくは本書を読んでいただきたいが、著者の挑戦は、世界中の農村や貧困地域に「お金の革命」を起こす新しいFinTechとして、国連にも注目されている。

 

こうした仕組みづくりを構想するにあたり、感嘆するのは、著者がフェリックス・マーティンの『21世紀の貨幣論』、トーマス・セドラチェクの『善と悪の経済学』など、多くの金融や経済の本から丹念に学んでいるということだ。それだけではなく、専門家でもない著者が数々のことを成し遂げられる秘訣を、こう語っている。

 

自分の選択の正しさに常に確信を持っているわけではありませんが、それでもそう間違っていないだろうと思えるのは、やはり「現場で起きていることをつぶさに見ているから」というのが答えになるだろうと思います。答えは全て、現場にあるというのが私の考え。

 

著者は、2016年の世界食料安全保障委員会の会合で、グラミン銀行創設者でノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌスらと貧困や飢餓について語るなど、紛れもなくこの分野で世界の最先端にいる。同じ日本人として、これほどまでの想像力、行動力をもつ人は数少ない。だからこそ、本書は人ごとではなく、同じ日本人として多くの方に手にとっていただきたい。

 

  

 

 

 



『細菌が人をつくる』

本書では、人間と共生しているさまざまな細菌(以下、常在細菌)についての最新研究が紹介されている。私たちに共生している常在細菌は、過食症や肥満傾向、そしてうつ病自閉症などの脳の病気にも関係しているという研究が報告されている。本書を読めば、日頃の食事と健康への意識にとどまらず、人間であるとはどういうことか、その定義すら改めて考えさせられるだろう。

 

人はみな、母親の産道を通って生まれて来るときに初めて多くの細菌に出会う。もし、あなたが帝王切開による出産により生まれてきたのであれば、そうではない人に比べて、肥満、食物アレルギー、そしてアトピー性皮膚炎の発症率が高いという(もちろんまだ議論はあるが)。本書は、新しい命を授かった方にぜひとも読んでいただきたい内容が多くある。そうでなくとも、健康に気をつかうすべての人に本書はおすすめだ。

 

自らの常在細菌を知ることはどういう意味をもつのだろう。本書によれば、私たちはおおよそ10兆個の細胞からできているが、それに比べ、体の内外に存在する細菌の細胞は100兆個もあるそうだ。私たちは細菌から多大な影響を受けている。さらに、自分の腸内細菌は他の人の腸内細菌とわずか10%しか共通していないという。つまり、細菌を知ることは自分自身を知るということに他ならないのだ。

 

細菌と脳とのあいだのさまざまな相互作用はまとめて「腸脳相関」と呼ばれている。

例えば、自閉症を患う子供たちは、そうでない子供たちと腸内細菌群衆が異なっていると報告されている。それを確かめるため、カルフォルニア大学では自閉症に似た症状を持つマウスを一から作ったそうだ。そうして、彼らは腸内細菌をベースにした劇的な治療法を作り出したという。だが、人に応用できるのはまだ先の話のようだ。

 

本書は研究だけではなく、実際に行われている最新の治療法も紹介されている。糞便移植という治療法だ。糞便移植とは、その名の通り健康な人の糞便を肛門や口から摂取するという治療法である。もちろん加工はされているだろうが、口から摂取するというのは、いささか抵抗がある人も多いかもしれない。

  

ほんの10年前までは、1人分の常在細菌をチェックしようと思ったら、100億円もかかった。しかし、現在では1万円ほどで調べることが可能だ。それほど、この分野は日進月歩で進んでいる。本書は、細菌の最新知識を得ることができ、なおかつ腸内で共存する細菌たちの大切さを感じられる一冊である。

 

 

細菌が人をつくる (TEDブックス)

細菌が人をつくる (TEDブックス)

 

 

『料理人という生き方』

本書は、数々の料理の紹介とともに、料理人としての絶頂も挫折も経験した不屈の精神をもつ男の生きざまが描かれている。決して自分の思いを読者に押し付けるのではなく、淡々とした口調で綴られ、仕事や人生に悩む人に勇気を与えてくれる本だ。

 

著者である道野正さんは、大阪にある知る人ぞ知るフレンチレストラン「ミチノ・ル・トゥールビヨン」のオーナーシェフを勤めている。フレンチの異才として走り続きてきた著者であるが、同志社大学の神学部出身という異色の経歴を持つ。「人はなろうとしたもんになれる」というシンプルなメッセージを伝える本書は、これから料理人を目指す人はもちろん、料理人でなくとも、年齢に関係なく何かを目指している人の「生き方」ガイドとなるはずだ。

 

神学部出身からなぜ料理の世界へ?と思われた方も多いかもしれない。それは著者が小さいころから疑問に思っていた「人は何のために生きるか」という問いに対する答えが、神学部出身者として最もふさわしくない仕事についたらわかるかもしれないと考えたからだそうだ。そうしてナイフすらまともに持ったことがないのに、いきなり京都の有名フレンチの門をたたいた。尋常ではない思考回路と言える。きっと、こうした常識から離れた思考が他とは違った料理を生み出しているのだろう。

 

本書にはレシピは書かれていない。さまざまな料理の記憶、創作秘話、食材との出会いが書かれている。例えば、「牛蒡のピューレと牛すじ肉のクレープ包み、ブルーチーズとグレープフルーツのサラダ」という料理がある。この料理を考案するために、著者が描いたであろう何やら直方体や楕円が描かれた数学の図形が登場する。そこには、酸味や苦みといった味や、食材の舌触り、さらに香りなどが緻密にメモ書きされ、一つの料理を考案するのにも長い長い思考の末に作り出されていることがわかる。

 

また本書には料理だけではなく、著者の料理人としての人生のエッセイがこれでもかと詰め込まれている。7年間日本で修業したのち、意気揚々とフランスの三ツ星レストランで勤め始めるも、失意のうちに数か月で辞めてしまう。それでも他の店で苦悩と努力を重ね、帰国後、大阪で開業した「ミチノ・ル・トゥールビヨン」で一世を風靡する。だが著者にとってそれは始まりに過ぎない。還暦をすぎてなお、料理人として進化し続けようとする姿は圧巻である。そんな本書には、他にも幻の魚イトウ釣り、大学時代の恩師との再会、スナックにハマった話、病気で死にかけた話、玉川奈々福さんの大ファンで浪曲への熱い想いなど数々のエピソードが花を添えている。

 

本書を手に取るとわかるのだが、本書にはいわゆるカバーがなく(書籍本体を保護する最も外側の取り外し可能な表紙?)、すべて同一の紙素材でできている。失礼ながら最初はあまりお金がかかっていないようにも思えたのだが、料理の写真はどれも、その温度感や香りが伝わってくるようで、素直に美味そうといった具合に見入ってしまった(ページもめくりやすい!)。それもそのはずで、本書は、全国の博物館のデジタルコンテンツ開発や制作、美術館のカタログ製作などを手掛ける有限会社マーズにより作成された本である。その点では、普段手にとる本とは少し違っており、本好きな方はいつもとは違った発見があるかもしれない。

 

だが、本書の魅力はなんといっても、著者自身が語る言葉であり、ストーリーである。最後に紹介されるのは「昆布じめにした宇和島の鹿、ハマグリの出汁で煮たキャベツ」という料理で、この料理への思い入れはことのほか強いようだ。
最後にその言葉を引用し、終わりとしたいと思う。

 

“見た目はあまりに地味です。まるで流れに逆らっています。でも、理論的には隙がありません。そして実際、ここは豊穣といえる味わいがあります。これがぼくの料理です。そして、これまでの集大成でありスタート地点です”

 

著者のレストランに足を運ぶ前に、ぜびこの本を一読いただきたい。

 

 

料理人という生き方

料理人という生き方

 

 

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

 AI人工知能)という言葉を聞かない日はない。日々、「AIが神になる」、「AIが人類を滅ぼす」、「シンギュラリティが到来する」といった言葉が世間を騒がせている。しかし本書はこう断言する。

 

AIが神になる?」-なりません。「AIが人類を滅ぼす?」」-滅ぼしません。「シンギュラリティが到来する?」-到来しません。

 

 

 断言するのは、2011年に人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」(以下、東ロボくん)を牽引した著者だ。「なんだ、じゃあAIに仕事を取られて失業するというのは嘘か。」「やっぱりAIが人間に取って代わることもないのか。」と安心された方もいるかもしれない。だが、本書を読み進めれば、安心していられないはずだ。本書の構成は、大きく2つに分かれる。前半では、「東ロボくん」のプロジェクトを通して、現在のAIについての正確な情報を述べる。後半は、「東ロボくん」での成果の副産物として、著者が日本の中高生に向けて実施した基礎的読解力調査の結果が述べられている。そこで、明らかになった事実は、日本の中高生の多くが教科書の内容を正確に理解できていないという衝撃的な事実だ。

 

 2011年にスタートした「東ロボくん」は、結論から言えば、MARCHレベルの有名私大には合格できるが、東大に合格することはできないようだ。この理由について、本書では、これまでのAIの歴史を俯瞰しながら丁寧に解説をしていく。ここで読者は日頃ニュース等で見聞きするAIについての理解を改められるだろう。そして、数学者である著者は、数学の歴史にも触れながら、現代数学が抱える「限界」についても言及する。

 

数学が発見した、論理、確率、統計にはもう一つ決定的に欠けていることがあります。それは「意味」を記述する方法がないということです。数学は基本的に形式として表現されたものに関する学問ですから、意味としては「真・偽」の2つしかありません。「ソクラテスは人である。人は皆死ぬ。よって、ソクラテスも死ぬ。」のようなことしか演繹できないし、意味はわからないというより表現できないのです。

 

 

 コンピュータは計算機である。要は、計算機であるコンピュータに、人間の複雑な知的活動のすべてを表現することは到底できないということだ。「東ロボくん」が東大に合格できない根本的な原因も、現状の数学にこうした限界があることに帰結する。

 

 コンピュータの弱点が意味を理解することができないことだとすれば、AIにも同じことが言えるだろう。本書ではもう少し詳しく言及している。

 

“AIの弱点は、万個数えられてようやく一を学ぶこと、応用が利かないこと、柔軟性がないこと、決められた(限定された)フレーム(枠組み)の中でしか計算処理ができないことなどです。

 

 

 それでは、計算機に過ぎないAIに代替されない人間が、今の社会にいったいどれだけいるのだろうか。そこで著者は、冒頭でも挙げた、日本の中高生の基礎読解力調査へと行き着いた。もちろん、そんな調査はこれまで世界中の誰もやっていない。それが実現できたのは、「東ロボくん」に読解力をつけさせるために日々挑戦を続けてきた著者だからこそである。そして、調査を通して得られた結果が「日本の中高生の多くが教科書の内容を正確に理解できていない」ということだ。

 

日本の中高生の読解力は危機的と言ってよい状況にあります。その多くは中学校の教科書の記述を正確に読み取ることができていません。なんだ中高校生か、と思わないでください。読解力というような素養は、ほとんど高校卒業までには獲得されます。

 

 

 AIには、意味を理解することができないという欠点がある。そして、それが人間とAIを分けるものであるはずだったが、著者が明らかにしたのは、そのAIと同じ特徴を示す日本の中高生だった。例えば、以下に挙げる問題は、2つの文章を読み比べて意味が同じかどうかを判定するというものだ。試しに解いていただきたい。

 

「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。」

1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。」

 

 答えは、もちろん「異なる」だ。しかし、この問題の中学生の正答率は57%だった。「同じ 異なる」の二択なので、コインを投げて裏表で解答しても50%である。事態の深刻さがお分かりいただけるのではないだろうか。

 

 著者は、こうした調査結果を踏まえ、日本の50%の仕事がAIによって代替されるだろうと予測する。実は、2010年の時点から、著者は『コンピュータが仕事を奪う』(日本経済新聞出版社)でそう予測していた。しかし、当時は日本であまり相手にされなかったのか、著者が東京の本屋を訪れた際には、SFの本棚に陳列されていたそうだ。これを知った著者は、その事実に危機感を抱き、それが後の「東ロボくん」というプロジェクトのスタートに繋がったと語る。「東ロボくん」により、AIとは何か、AIには何ができて何ができないのかを示し、AIと共存しなければならなくなる近い将来に対し、危機感を訴えようと考えたのだ。

 

 本書では、こうした現状を踏まえて、ベーシック・インカムも一つの処方箋ではないかと指摘する。ベーシック・インカムとは、端的に言えば、所得や資産に関係なく、全国民に生活に最低限必要な現金を支給する政策である。確かに、AI時代の社会保障政策として、ベーシック・インカムの導入を主張している人も少なくないが、著者は早計ではないかと訴える。本書では、そうしたAI時代の働き方の一例として、コピーライターである糸井重里さんの活動などを取り上げている。詳しくは本書を一読いただきたい。

 最後に、私見で恐縮だが、アメリカを中心に話題となっているアンスクーリングをここで挙げておきたいと思う。アンスクーリングとは、従来の教育とは違い、大人が子供の教育をしないというものだ。日本でも、モンテッソーリ教育シュタイナー教育など、今までとは違った教育というものが注目されている。ここで挙げたすべての教育に共通するのは、未来のための教育ではなく、今この瞬間を生きるための教育であるという点だ。こうした教育の是非はともかく、私が言いたいのは、今私たちはこれまでの様々な「価値観」の変革期に直面しているのではないだろうかということだ。本書は、従来の「価値観」を疑う最初の一歩につながる日本人必読の書だと思う。

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 

 

AI関連本として、併せて紹介しておきたい。 

 

量子コンピュータが人工知能を加速する

量子コンピュータが人工知能を加速する

 

 

2015年、グーグルとNASAは、従来のコンピュータに比べて、1億倍高速である「量子コンピュータ」の誕生を告げた。グーグルとNASAが注目するのは、この量子コンピュータは、AIへの応用が可能とされているからである。本書はこの量子コンピュータがいかにしてAIに応用されるかを解説している。

 

CRISPR (クリスパー)  究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPR (クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

 

  

こちらもAIとの併用が見込まれる最新の生命工学技術だ。この第3のゲノム技術とも呼ばれる技術がどのようなものなのか、またその登場が人類に与える影響はいかなるものなのかを、CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)システムの発明者自身が語る良書だ。